渡辺竜平のハリウッド片道切符 第14回 ワタシハジャパニーズ~覚悟の帰国~

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渡辺竜平のハリウッド片道切符

あぁ鳥よ・・・って感じ(笑)
アメリカから帰国することになった。帰国当日は天気がなんとなく良かった。帰国までは多少いざこざはあったものの、今回は話の線がブレないように過去の自分が難なく無事帰国したことにしてあげたい(笑)
とにかくこの右のアヒルだかカモメだかがどこを見ているかが今でも気になるぐらい印象的だった。

桜が散りかけの頃の2008年04月01日に帰国した。日本は寒かった。そして、迎えの車は臭かった。それは父がよく釣る魚の残り香の影響で(笑)この車で母が迎えに来てくれていた。道路に出ると左右違う車線と車線の幅の違いにびっくりした!!逆のカルチャーショックを受けた。そして、切なくとも、可笑しい現実だけれども、母国では自分が運転できないことに気付いた!!道路を中心にしてみるとここは完全にアウェーだった。そして、自転車に乗っている人を見ていたら何だかおもしろくなってきた(笑)きっと約1年振りに自転車に乗っている人を見て嬉しくなってしまったんだと思う。

夕方に帰宅!ここは自分の家か?!何も変わっていないのに、家の大きさのバランスに違和感を感じた。この感覚がいつもの感覚に戻るまでは数日かかった。そして、家族と再会を果たした。みんな予想通り元気そうで何よりだった。僕は2007年7月から数えて4杯目の味噌汁を片手に家族といろいろなストーリーを話合って、会話には花が咲いた。
実家には愛犬のポチの姿もあった!!もう15歳ということもあって体は少し弱っていたけれど、もう一度会えるとは、夢にも思っていなかったので、どんな姿であれ嬉しかった。今まで世話できなかった分を取り返そうと真剣に思った。家族とのだんらんを済ませた後はしょうもない理由で夜の街を弟と自転車で乗り回した。やっぱり自転車に乗っていることがおもしろくなった(笑)気がついたら夜10時になっていたので、帰宅して就寝した・・・

単刀直入に言うと、今回の帰国の第一目的は「出稼ぎ」だった。でも、帰ってきたのでニュアンス的には「戻り稼ぎ」だ。ハリウッドで次のステップに行くには、どうしてもお金が必要だった。だけどせっかく帰国したのに、それだけじゃつまらない。そして、小さな目標さえ実現できないやつにハリウッドは無理だと思った。理由はどうあれ結果的に1つの大目標と3つの中目標ができた。中目標は自分が言ったことをどれだけ実行できるのか、自分で確かめてみるという意味でも設定した。大目標は「アメリカでの生活資金を貯める」で中目標は「英検準一級合格」、「自転車100kmチャレンジ」、「2008年内映画100本観賞」だった。それぞれに全く共通点がないように思えるけれど、これらが自分にとっては大きな意義を持つものだった。

自分の日本での生活スタイルは思ったよりも早く決まった。アメリカで日本の求職情報を探していたのが効いた(笑)帰国して約2週間で営業系の仕事に就けることになった。この種の仕事は以前の渡米前にもやっていた。早く仕事を見つけられたのは良かった。だけれど、日本の生活スタイルに戻すためにもう2週間ぐらい時間を置くべきだった。この生活に適応できず、ストレスを感じることも多かった。
仕事は週に5回一日9~11時間前後だった。これは働きに帰ってきたものにとってはずばりその基準値だった。

しばらくして、家では一人で生活するのが厳しくなってきていた老犬の介護をすることになった。時は少しづつ彼の力を奪いつつあった。この仕事をして、数ヶ月は家に帰って、すぐに眠りに落ちる日が多かった。肉体疲労とはこのことかと身をもって感じた・・・

同時期に「英検準一級」の勉強も始めることにした。どうしてこれを選んだのか??それは日本に戻ってきたからと言って、英語の勉強を怠けない為だった。だからその策として、そして、自分を試すために、帰国前にすでにアメリカで申し込みを済ませていた。目標は高く設定すべし!!というのが達人の極意なのかは知らないけれど(笑)

そして、5月頃に「2008年内映画100本観賞」という目標を設定した。これは英語の勉強と俳優としての勉強を兼ねていたので、自分にとっては都合が良かった。これらは似て非なるものだったので、互いに良い影響を及ぼし合う目標だった。そして、人生で一度もやったことがないことに挑戦したかったので、これはやってみる価値があると思った。結局、テレビで知らない誰かが何かに挑戦しているのを見るよりも、自分がその挑戦者になる方が好きだった。

6月はあっという間にやってきた。そして、英検準一級の試験がやってきた。時間を搾り出して勉強したつもりだったけれど、この試験にはことごとく落ちた!!・・・この頃の生活をしつつ、まともにどうやって勉強をすれば、いいのだろうと感じていた・・・そして、次の試験を受けようか考えていたときに、ある人に「英検の勉強まだやってんの??」と言われ、自分が英検の勉強をやっているのが当たり前のように感じ、再び目覚めた。もう一度挑戦しよう!!だいたい英語を忘れないためなんかに試験を受けていても、受かるはずがない。だから今回は絶対に受かると決意し、よりアグレッシブに英語を勉強することにした。ただし、そういう気持ちになったのは、この試験に落ちてからしばらくしてだった。

年内映画100本観賞という目標達成までの流れはゆったりとしていた。どうしても他にやるべきことがあったので、休みの日に1本や2本観ることがやっとということで進行具合はとても緩かった。それでも、このチャレンジだけは実現する自信があったので焦らずに続けた。仕事を始めてから3連休以上の休みを取ることなく働き続けていた。気付いたら7月になっていた。働き始めてから3連休以上の休みを取ったことなかったけれど、8月に取れることになった。なにか面白いことがしたいとだけ思っていた。これまでは、仕事を抜かしては、英検の勉強をしたり、愛犬の世話をしたり、たまに友人に会ったりしたりはしたものの、特にこれといって特別なことをしていなかったと思う。ただ、生活費を1円でも絞るために、節約貧乏生活を続けていたことも自分の中では挑戦だった。これで食費を一日300円以内に抑えて生活をしていた。実家にいたのが救いだった。その頃、1ヶ月に約1回のお店での外食がめちゃくちゃうまかった!!2種の100円パンを組み合わせての昼に比べると(笑)この生活は以前アメリカに行く前にもやっていたので、とりあえず自分の限界を超えないようにやりくりしていた。

4連休に一体何ができるかを考えた。その4連休は偶然にも家族が海に行く日だった。うちの家族はほぼ毎年決まって、千葉の海に行く。そして、少年の頃に密かに持っていた小さな夢を思い出した。それは、「房総半島を自転車で一周する」という子供の考えそうな夢だ。そこで思った。「そうだ、家族旅行に自転車で行こう!!」そこで生まれたのが「自転車100kmの旅」チャレンジだった。要は一日早く家を出て、家族と現地で集合するということだ。もちろん、決まり文句かのようにみんなに反対された。まずは千葉の全域の地図を手にした。そして、かの有名なジャングルのような大手雑貨店などで、パンクを直す道具、持ち運びエアーポンプ、盗まれないための鍵、ライト、蛍光シール、タライ(パンク用)、方位磁針、雨合羽、飲み物約4リットル、食料などを買って、チャレンジに臨んだ。チャレンジの様子はここでは書き切れそうにもないのでブログへのリンクを貼っておきます!

 

「自転車100kmチャレンジ」 part 1, part 2, part 3

ということでこの自転車での無謀かと思われた挑戦は成功に終わった。(自分ではできると信じきっていたけどね(笑))

良い意味で期待を裏切ることができて気持ち良かった。129kmという距離に結果的にはなったけれど、要はそれを長いと感じるか、短いと感じるかの違いしかないのだと思った。この挑戦からも多くのことを学んだ。こうしてこのチャレンジは幕を閉じ、自分はもう一度、仕事に戻った。

日本の9月と10月は思った以上に寒かった。もうこれ以上、外食は無理だと思った。(自分にとっても外食は、日の光を浴びながらの食事を指す)そして、そんなときに仕事の同僚の人に昼にある場所に連れて行ってもらう。そこでは、時間制でお金が取られる。一時間いたら約500円で、30分なら250円だ。ただし、食事は無料で出る。そこにはカラクリがあった!そっか250円で30分だけいれば、今までとほぼ同じ金額で、暖かい場所と温かい食事が手に入る。そして、牛乳や野菜ジュースがある分、それでも、今までよりも生活レベルは向上している。この生活に決めた!この生活にもカラクリがあって、毎日続けることはできないのだけれども、体は確実に健康になっていった。爪を見ればわかる。

9月の終わり、ついにもう一度英検にチャレンジすることを決めた。もう一度、一から自分を叩き直すつもりで英語を勉強し始めた。このとき、もう日本滞在期間の中間地点は越えていた。時間が経つのは早いと感じた。家では、ひたすらに映画を観続けた。もう映画を100本観なければいけない期限は迫ってきていた。

10月は、英検の一次試験だった。これには、ぎりぎり通過した。そして、自分のボキャブラリーのなさをもう一度痛感することになった。これからは面接の練習に取り掛かった。

11月。ここで、忘れられない出来事が人生で起こる。日本での滞在でおもしろいことだけ起こったと言えば、それは嘘になる。11月の某日、僕は愛犬に別れを告げることになった。歳は15歳だったから人間で言えば、100歳近い。寿命だった。この数ヶ月前から寝たきりの状態になっていた。もうやれる限りのことは全部やった。海外に行ってもう会えなくなると思っていたから元気な顔だけ見れて本当に嬉しかったし、この約7ヶ月間も充実した時間を過ごさせてもらった。今でもこの事を思い出すと、複雑な気持ちだし、その気持ちを綺麗さっぱり片付ける気もないけれど、これだけは言える。彼は自分の中にずっと生き続けると。

英検のテストは刻一刻と迫ってきていた。精神的に集中するのが難しかった。だが気持ちを振り絞って勉強した。また、大好きな電車生活に戻った僕は通勤に約50分を要していた。その時間は英検の試験問題がエンドレスで頭の中で鳴り響くようになった。そして、待ちに待った試験に挑んだ。そして、結果は・・・

 

「英検準一級合格」

やった!!これは嬉しかった。結果の書いてある紙を開く寸前までどちらかわからなかった。そろそろ、自分自信をもっと信じてあげるべきだと思った。人生の中で失敗はかなり多かったし、現にこの挑戦も一回失敗している。でも、信じ続ければ、いつか必ず道が開けると確信した。ただ、まだ映画100本観賞のチャレンジが残っていたので、気が抜けなかった。そして、アメリカ行きの準備を始める時期でもあった。

日本に帰ってきてから半年以上が過ぎ、ある重要な事実を忘れていた。それは・・・

ビザの失効

ビザを5年分持っていても、5ヶ月以上日本に滞在するとそれは失効になってしまう。それをすっかり忘れていた!!忘れていたことは致命的だったけれど、まだ間に合う時期ではあった。急いで、書類をかき集め始めた。アメリカの学校の手続きもこの時期に終わらせた。いよいよ、この日本での戦いのゴールが見え始めた。

12月は飛び切り寒かった。2年振りに体感する日本の冬は体に堪えた。世間は休日ムードだけれども、そんなものは自分には無縁だった。働いて働き続けた。そして、絶対に逃せないビザの準備を着々と進めていた。アメリカから書類も集める必要もあったりしたので、全神経をそれに傾けた。ただ、映画チャレンジのことも忘れてはいけなかった。物事には優先順位があるけれど、ここで最後の中目標を諦めることは、今までのチャレンジを棒に振るようなことに感じたので、気合いで映画を観続けた。平日でも仕事後に1本。そして、休みに映画を4本観るなんてこともよくあった。年末も近づいてきた。ビザの面接を受けなければ、いけなかったのだけれども、一番早くて予約が入れられたのは年始だった。すべてがぎりぎりの微妙なラインで進行していた。そして、ビザについてすべてのことを終えるとあとは映画を観るのに集中できた。そして、12月30日についに「2008年内映画100本観賞」という目標を達成することができた!!この後に感じたことは100って数字はやっぱり半端ないってことだった。年末と年始は働くことになった。ここまで来たら最後の最後まで目標のために働き通すのが筋だと思った。

年は明けた。2009年は絶対良い年になると確信していた。2008年を振り返ってみると、長期的にこんな生活強度で生活してきたことはなかったので、これまでの人生を振り返ってみても、一番辛い時期だったのかもしれない。多くのことが2008年に起きた。良い事も悪い事もたくさん起きた。だから一言で言い表しがたいけれど、もし、一言で2008年を現すとしたら「苦」だったのだと思う。でも、2008年の目標であった「アメリカでの生活資金を貯める」、「英検準一級合格」、「自転車100kmチャレンジ」、「2008年内映画100本観賞」はすべて達成できた。こんなに多くを人生の中で一年間でやったことがなかったのでここだけは自信を持ちたい。多くのことを実現できたとは思うけれど、「何かを手にすることは同時に何かを犠牲にすること」という名言が事実であることに気付いた。目標は達成できたけれど、辛い時期がなかったとは言い切れない。今まで成し遂げたことは事実として、できなかった事は改善していこうと思う。2009年は新しいスタートでそしてリセットの年になりそうだ。

2009年は思ったよりも早く違うように見えてきた。それもそのはず人生で初めて、ついに視力矯正が必要になった。中学生ぐらいのときから右肩下がりの僕の視力は、今、調子が良くてもきっと0.6ぐらいで、疲れているときは両目合わせても0.4か0.3ぐらいの視力しかなかった。だから見えないものが多くて、今まで苦痛だったけれど、それが視力が悪いからだとは気づかなかった。これからは眼鏡とコンタクトに頼ることになりそうだ。初めて眼鏡をしたときの感想は・・・「世界はカラフルだ」ということ。人生で一度は眼鏡をしてみたいと思っていたので、とりあえずはこのまま行こうと思う。もし、舞台に上がってそれが本当に障害となるようなら、レーザーなどで目を治療することも考えなくてはいけない。舞台や映像の中で生きることに専念するための手段は選ばない。

待ち時間は長かったもののビザ面接はすぐに終わった。そして、面接が終わって3日もしないうちに結果が届いた。ビザを取得した!!そうこれはハリウッドに戻るために日本でやらなければいけないことがすべて終わったことを意味していた。とうとう次への道が開けた。帰国前どれだけ強くこの日が来ることを願ったことか。すべてのピースが揃った・・・

夕暮れ時の地元
この日本での9ヶ月間は本当に冒険だった。それは予想していたよりも壮絶だったかもしれない。でも、学んだことは数え切れない。そして、もう一度自分が歩んできた人生がどういうものだったかどうか再確認することができた。過去と向き合うことは時として痛みを伴ったけれど、そこからもう一度発見できたものもある。これから自分が飛び込む世界は、恐らく今までの人生で経験したことない世界だと思う。でも、今、そこでどんなことが起きようと乗り越えて行ける自信がある。とにかくやって砕ける価値がある夢だからその途中何が起きても自分の人生に後悔はしない。これからは本当の意味での挑戦になる。今までは夢を追っていたとはいえ、自分がいた環境に左右されてきたかもしれない。これからは違う。だから十代の頃に自分がやってきたこととこれから自分がやろうとしていることは本質的に違う。今が自分の人生の主人公になるときだ。

さぁ今片道切符を手にし、ハリウッドに行こう!!

続く・・・

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渡辺 竜平(Ryohei Watanabe)

映像クリエーター・写真家・オンライン講師・ブロガー

2007年~2012年までハリウッドで役者に挑戦。現在、写真家兼フリーランス映像クリエーター。Udemyプラットフォームでオンライン講師としても活動、総受講生数が12,000名。ブログでは、映像制作、写真、映画レビュー、NFT関連の事など気ままに書いていきます。

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